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歴史資料等  >  総長・役員・教員資料
矢内原忠雄関係資料ヤナイハラタダオカンケイシリョウ
1910(明治40)年5月12日~1961(昭和36)年12月1日
F0220
フォンド
歴史資料等
2225点
矢内原忠雄
明治26(1893)年1月27日、愛媛県今治市生まれ。神戸中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学政治学科に進学、大正6(1917)年卒。住友総本店(別子銅山)での勤務を経て、大正9(1920)年3月15日付で経済学部助教授就任、大正12(1923)年8月30日付で同教授、しかし昭和12(1927)年12月4日付で、いわゆる「矢内原事件」により辞職。昭和20(1945)年11月28日付で経済学部教授に復職するまで、無教会派キリスト教の預言者としての活動に専念する。こののち、昭和21(1946)年6月15日から同23(1948)年9月30日まで評議員、昭和21(1946)年8月24日から同24(1949)年6月29日まで社会科学研究所長、昭和23(1948)年10月1日から同24(1949)年9月29日まで経済学部長、昭和24(1949)年5月31日から同26(1951)年12月13日まで教養学部長(合わせて最後の旧制第一高等学校長・東京高等学校長)を務め、昭和26(1951)年12月14日から同32(1957)年12月14日まで2期にわたり総長を務めた。総長退任後は、学生問題研究所を立ち上げたが、昭和36年12月25日に没した。
2016年から2019年にかけて、3度にわたり、矢内原瑤子氏(忠雄三男・勝氏夫人)および矢内原契氏(勝氏子息)より、自宅で保存していた資料の寄贈を受ける。
矢内原瑤子氏(忠雄三男・勝氏夫人)、矢内原契氏(勝氏子息)
矢内原忠雄が自宅に残した資料のうち、大学および研究活動に関するもの。大学からの文書、著作の原稿、講演構想メモ、書簡、写真類など。矢内原家で本資料群と一体で保存されていた資料のうち、純粋に信仰生活に関わる資料(信者間の書簡や写真など)は、NPO法人今井館教友会に引き継がれ保存されている。
信仰生活に関わる資料を切り分け、今井館と分担保存
予定なし
矢内原勝氏が資料類型や書簡の差出人別などで一定の整理をしてあったものを原秩序として尊重しつつ、改めて矢内原忠雄の活動や資料類型に沿って当館独自に編成。
公開、部分公開、要審査
日本語、ドイツ語、英語
F0060「学生問題研究所資料」
本郷