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黒川真頼関係文書クロカワマヨリカンケイブンショ
1886(明治19)年1月28日~1946(昭和21)年6月12日
F0066
フォンド
歴史資料等
36点
黒川真頼
上野国山田郡桐生町(群馬県桐生市)の機業家金子吉右衛門の子として、1829(文政12)年11月12日に生まれる。1841(天保12)年、13歳の時に国学者で歌人の黒川春村に入門し、国文、音韻、和歌を学ぶ。慶応2(1866)年、黒川家の養子となる。文部省、内務省、農商務省などに出仕するとともに、博物局博物館(東京国立博物館の前身組織)の草創期に尽力。1879(明治12)年4月に東京大学講師嘱託となる。1881(明治14)年11月、東京学士会員に選出。1882(明治15)年頃から奈良正倉院御物の整頓にかかわり、1892(明治25)年、宮内省より正倉院御物整理掛に任命。1889(明治22)年、宝物取り調べで訪れた大阪で、乗っていた人力車の事故により負傷。1890(明治23)年に東京美術学校教授、翌1891年に東京音楽学校教授に任命。1893(明治26)年9月、帝国大学文科大学教授となり、国語学、国文学、国史第三講座を担任。1902(明治35)年11月、東京帝国大学名誉教授。1906(明治39)年8月29日没。
黒川淳子
黒川真頼宛書翰類および黒川真武(孫)在学関係文書など
していない
予定していない
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日本語
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