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詳細情報
| 歴史資料等 > 総長・役員・教員資料 > 熊田衛関係資料 | |
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1929(昭和4)年~1943(昭和18)年5月
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F0022/SF02
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サブフォンド
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47点
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〔橋田邦彦〕
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橋田邦彦は、明治15(1882)年、鳥取県の漢方医藤田謙造の次男として生まれ、16歳で橋田家の養子となる。第一高等学校第三部を経て、東京帝国大学医科大学に入学、明治41(1908)年卒業、生理学教室の助手となる。1914(大正3)年ドイツ・ストラスブルグ大学へ留学するが第一次世界大戦勃発により勾留、釈放後、スイス・チューリヒ大学に移り、1918(大正8)年8月帰国。同年11月に助教授、1921年医学博士の学位授与、翌1922年教授となる。生理学講義を担当するなかで「生理学の根本である生命とはなにか」考究する必要性を認識し「正法眼蔵」を研究、生理学教室にて毎週1回夕方からの会(月曜会または火曜会、のちに碧潭会と呼称)で、主として教室研究者向けに講義を行った。1937(昭和12)年に第一高等学校長を兼任、1940~43年に文部大臣。1945年9月14日、A級戦犯指名をうけ服毒自殺。
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1997年2月21日、熊田衛氏(医学部生理学第二講座教授)より寄贈
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橋田邦彦による「正法眼蔵」講義速記録(複製)および書
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講義資料については、引出式キャビネットに保管されていた原稿を、講義単位で上段から順次編成。書については、保管されていた順に基づき追加登録。
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歴史資料等
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公開
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著作権保護期間内のため制限あり
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橋田邦彦による「正法眼蔵」講義速記録(複製)および書
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紙
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柏
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講義資料については、橋田邦彦『正法眼蔵釈意』の関連資料と推定(参考文献:東京大学医学部生理学同窓会編『追憶の橋田邦彦』鷹書房、1976年)
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複製物原本の所在情報は不明
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デジタル複製あり(一部)
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